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京都日蓮聖人門下連合会

今を去る七百二十年前、永仁五年(一二九七)四月二十八日、京都御所の東門に立って昇り来る旭日に向かい「南無妙法蓮華経」と声高らかに唱えた日像上人、これが京都開教である。
京都日蓮聖人門下連合会の歴史的始まりは、日蓮聖人が経一磨呂(日像上人)に託した京都弘教である。以後法華弘道の実を挙げ、京都ヘ続々と日蓮聖人門下の僧侶が上洛目覚しい町衆の総大な支持と外護を受け、公家堂上家にも信者は増え、多くの法華寺院が建立、「洛中二十一箇本山」と称され全盛を極めていた。しかし、天文法華の乱で堺ヘ避難するも後奨に力を注ぎ、十六本山中心の時代ヘ入っていく。
大正十三年四月十九日十六本山の協力により、比叡山横川定光院の大聖人の銅像が建立され、開眼法要が盛大に奉修された。
この年京都十六本山会は「京都立正会」を結成、教学の研修と布教に努めた。又、毎年十月十三日の御大会式正当には「連合御大会式万灯提灯行列」が行われ、市中を歩きお題目を声高らかに大行進を行った。
しかし、戦争と言う不幸な出来事により、社会の流れの中に宗教活動が難しくなって行くが、門連有志が日蓮大聖人の「立正安国」の精神を護り、力強く復興、再興をして新しい出発ヘ向かうのである。
釈尊御降誕花まつりが日蓮宗·法華宗派合同で営まれ、昭和三十二年(一九五七)十月九日聖祖門下連合会として復活第一回日蓮大聖人お会式万灯行列が盛況裏に奉行、円山公園音楽堂から大本山本能寺迄大行進をした。
聖祖門下連合会も盛大に運営されるが、各宗、各派、各教団の教学、組織等の問題があり、度重なる協議を行い、昭和三十八年(一九六三)「聖祖門下連合会規約」が成文化した。
そして時は経ち、機は熟し、昭和四十年(一九六五)三月十八日京都日蓮聖人門下連合会の名の下に、日蓮宗京都本山会、宗務所、法華宗陣門流本禅寺、法華宗本門流本能寺、法華宗真門流本隆寺、顕本法華宗妙満寺、本門法華宗妙蓮寺、日蓮本宗要法寺、本門仏立宗宥清寺、日蓮法華宗(五十音順)は連名で京都日蓮聖人門下連合会開催ご案内」が送付され、三月三十日顕本法華宗総本山妙満寺にて総会が開催された。これが京都日蓮聖人門下連合会の組織的スタートであった。会則役員も決定し実質上の運営展開が始まった。以後今日に到るまで、京都日蓮聖人門下連合会は歴史と伝統をしっかりと認識し、年間行事として二月十六日は総会降誕会、四月二十八日立教開宗会(比叡山横川定光院)、八月夏季大学(本能寺文化会館)、お会式(十月第一土曜日)を始め、事務局会議理事会、お会式奉行委員会、全門京都理事会、十六本山主伴会等を行っている。
運営は当番制とし、表当番・裏当番に日蓮宗、法華門流懇話会が順次当たっている。
今日まで歴史を振り返り、年を数えて幾年月、昭和二十六年(一九五一)「宗教法人法」が公布・施行、昭和二十七年(一九五二)釈尊御降誕花まつりを奉行、これらを正式な設立と考えれば、平成二十五年に設立六十周年を迎えるのである。

 

基本情報

名称 京都日蓮聖人門下連合会
後援 京都日蓮門下本山会(大本山本圀寺・大本山妙顯寺・本山本満寺・本山立本寺・本山妙傳寺・本山頂妙寺・本山妙覺寺・本山本法寺・総本山妙満寺・総本山本隆寺・大本山本能寺・大本山妙蓮寺・本山要法寺・本山本禅寺・本山宥清寺・本山寂光寺)
事務所 日蓮宗京都府第一部宗務所内 京都門下連合会事務局
会長 日蓮宗と法華宗の本山貫首が一年毎の輪番で務める
理事長 日蓮宗と法華宗の本山事務方責任者が一年毎の輪番で務める
寺院数 178ヶ寺(本山 16ヶ寺・日蓮宗 122ヶ寺・法華宗 40ヶ寺)
僧侶数 182名
伝統 永仁五年(一二九七)四月二十八日、京都御所の東門に立って昇り来る旭日に向かい「南無妙法蓮華経」と声高らかに唱えた日像上人、以降日蓮聖人門下の僧侶が上洛。公家町民に支持と外護をうけ「洛中二十一箇本山」、天文法華の乱以降は十六本山が中心となり日蓮聖人のご遺志「帝都弘通」に尽力す。