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顕本法華宗

顕本法華宗の開祖日什大正師(1314~1393)は、会津出身で玄妙と称し、天台宗の学僧となり、比叡山にあって三千の学生の学頭となり玄妙能化と称された。その後、比叡山を去り故郷会津に帰り、城主葦名氏の知遇を受け、その地にて多くの門弟を教化育成されていた。仏縁の薫発するところ、日蓮大聖人の『開目抄』及び『如説修行抄』を拝読、永年の疑問一時に氷解し、67歳という高齢にもかかわらず、名を日什と改められ、日蓮聖人の門下に帰入されたが、感ずるところあって「経巻相承直授日蓮」と称された。それは門下のどこにも従わず、仏祖及び宗祖の御意志に沿って法華経の弘通の大願に邁進することである。宗祖68歳の老躯をさげて再三都に上り、時の帝・後円融天皇に上奏、二位僧都の位と「洛中弘経の綸旨」を賜り、康応元年(1389)京都室町坊門に草庵を造り、「妙塔山妙満寺」を建立し根本道場とした。その間、日什大正師は鎌倉、千葉、品川、静岡等にも弘経法演を開き、それぞれに寺を建て門弟に後事を託し、自ら帝都弘経に専念された。明徳3年(1393)2月28日、故郷会津妙法寺において入滅せられた。時に世寿79歳であった。日什大正師滅後、多くの先師上人は御遺誠を遵守し、不惜身命、死身弘法の大旆のもとそれぞれ弘通に邁進された。明治に至り、本多日生上人等により明治31年11月11日、従来の「日蓮宗妙満寺派」の称を改め「顕本法華宗」と宗名公認されたが、戦時中の昭和16年、思想統一を政府(軍部)より要求され、本宗は日蓮宗、本門宗と合同した。しかしながら、戦争終了の翌々年、昭和22年4月に再び什門流は独立し、ここに新たな顕本法華宗が誕生した。

 

基本情報

名称 顕本法華宗
総本山 妙塔山妙満寺
〒606-0015 京都府京都市左京区岩倉幡枝町91
宗務院 顕本法華宗宗務院
〒606-0015 京都府京都市左京区岩倉幡枝町91 総本山妙満寺内
管長 大川 日仰
宗務総長 河野 時巧
公式サイト http://www.kenpon.jp/
宗章紋